その考え方、縄文由来かも?現代日本に生き続ける3つの驚くべき影響
縄文時代と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか?独特な文様を持つ縄文土器、弓矢を使った狩猟、木の実の採集…おそらく、多くの人が抱くのは、原始的で素朴な暮らしのイメージでしょう。
しかし、もしその縄文時代の文化が、現代の私たちの言語や信仰、そして思考の根幹にまで、深く、そして生き生きと受け継がれているとしたらどうでしょう?
考古学者の小林達雄氏と言語学者の千種眞一氏による書籍『JOMON 縄文』では、まさにその驚くべき繋がりが明らかにされています。
縄文文化は過去の遺物ではなく、現代日本の中に脈々と息づく「生きた伝統」なのです。
この記事では、同書が明らかにした数々の発見の中から、特に私たちの常識を覆す3つの視点をご紹介します。
これらを読めば、あなたの内なる「縄文の精神」に気づかされるかもしれません。
Contents
神社の「宴会」のルーツは、縄文時代にあった
神社の祭りにおいて、神様にお供えしたものを人々が共に飲食する「共食(きょうしょく)」は、中心的な儀式の一つです。
現代でも、祭りの後の直会(なおらい)などでその習慣は続いています。
この神道の根幹をなす「共に飲み、食べる」という行為は、一体どこから来たのでしょうか。
小林達雄教授の研究は、この根源的な神道の習慣が、実は縄文時代にまで遡ることを示唆しています。
驚くべきことに、縄文人は単なる狩猟採集民ではありませんでした。
彼らは米、魚(魚醤のような発酵物と考えられている)、そしてドングリから作られた少なくとも3種類もの「酒」を楽しんでいたことが分かっています。
春は山菜、夏はカツオやマグロ、秋はサケや木の実、冬はシカやイノシシと、彼らの食生活は季節の恵みにあふれた、非常に豊かなものだったのです。
この事実は、私たちの縄文時代に対するイメージを覆します。そして、共同体で豊穣を祝い、共に飲食するという文化が、後の神道の儀式へと直接的に繋がっていった可能性を示しています。
これは、日本における組織的な宗教の起源が、一般的に考えられているよりもはるかに古い時代に根差していることを意味する、非常に重要な発見です。
「自然から発する」— 私たちの思考は縄文時代に形作られた
あなたは、物事をどのように捉え、言葉にするでしょうか。言語学者の千種眞一氏は、日本語の根底には「自然物から『発する』」という、縄文時代に由来する独特の思考パターンが存在すると指摘します。
これは、まず抽象的な概念があり、それを世界に当てはめていく思考法とは対照的です。
縄文由来の思考法は、自然を観察し、自然と共生する中で、物事の動きや変化を「自然側から」捉えるという特徴があります。
例えば、「草の葉の露も干し止めて」という古い表現を見てみましょう。この文では、主体は人間ではなく「草の葉の露」です。
露が自らの力で乾いて消えていく、という視点が表現されています。このように、動作の起点が自然物にあると考えるのが、この思考パターンの核心です。
この古代から続く言語と思考の習慣は、自然を客体として支配するのではなく、その一部として世界を捉えるという、現代の日本人が持つ独特の自然観や感性に、今なお影響を与えているのかもしれません。
八百万の神々は、縄文の「無限の神」から生まれた
森羅万象に神が宿るとされる神道の「八百万(やおよろず)の神々」。
この多様で豊かな神々の世界は、どのようにして生まれたのでしょうか。千種眞一氏はこの点について、私たちの歴史観を根底から揺るがす、力強い見解を提示しています。
神道の神様も、この縄文の無限の「神祇」から提供されているのです。
これは、弥生時代以降に成立したとされる神道が、縄文の信仰を上書きしたり、置き換えたりしたのではない、ということを意味します。
むしろ、縄文時代に育まれた広大で無限ともいえる精神世界が、後の神道の神々を生み出すための、尽きることのない源泉となった、というのです。
神道は「始まり」ではなく、縄文から続く壮大な流れの中の「継続」として捉えられます。
この視点は、日本の精神史を全く新しい光の下で照らし出します。一般的に教えられてきた歴史よりも、はるかに深く、そして途切れることのない文化的な連続性が、私たちの足元に広がっていることを示唆しているのです。
まとめ|私たちの内にいる縄文
縄文土器や集落の跡だけでなく、神社の儀式、日常的に使う言葉の感覚、そして八百万の神々への信仰の中に、縄文時代の影響は今もなお色濃く生き続けています。
それは忘れ去られた過去ではなく、私たちの文化的なDNAに息づく生きた継承物です。
祭りの宴がもたらす共同体の喜びから、草の葉から露が消えるのを直感的に捉える感性、そして神性は一つではなく無限に広がっているという精神的な感覚に至るまで、縄文の世界観は私たちの現実を形作り続けています。
それこそが、現代日本の水面下で脈打つ、深く、根源的なリズムなのです。
ふと立ち止まり、私たちの習慣や言葉に目を向けてみたとき、あなたは他にどんな古代の祖先のこだまを見つけるでしょうか?
